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2020年07月

小春日和vol.682 夏乃13歳

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13歳の誕生日おめでとう。
次女夏乃がコロナ渦の中、中学生になり
近所の下は2歳から小学生までをまとめて
公園でトカゲを取ったりしていた。
最初は、トカゲを触れなかった小さい子も
自分で捕まえられる様になるまで面倒をみる。
片田舎で密にもならない公園の子供達は毎日、時間だけは無限にあった。
誕生日の今日から部活も始まり、昼間には、幼稚園から帰った男の子が
「なっちゃんまだ帰ってませんか」と訪ねてくるほどの人望。

先週、早い夏休みの最終日の夜。翌日が初めての期末テスト最終日でナーバスになっているのに
「夏休み最終日を楽しんでね。」と。
「今日は、休み終わったけど仕事頑張ってね。」と
この1週間、そう言えば良いのかとはっとさせられる言葉をかけてくれた。

どこに出ても、気遣いできて良い人生を送れるだろう。

映画「カセットテープダイアリー」を観て思ったこと

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1979scotland


1980年スコットランドの丘陵

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2014年ロンドン ハムステッドヒースの丘

「カセットテープダイアリー」http://cassette-diary.jp/ 
というイギリス映画を観た。父と子についてとても深く考えさせられた。そしてとても爽快な涙を流せる映画だった。
写真は、6年前にロンドンで撮った丘の写真と40年前にスコットランドで伯父が撮った丘の写真。
自分なりのレビューを書いてみた。※長文です。
「カセットテープダイアリー」 原題は、「Blinded by the light」
眩しい光の中では何も見えない。
1987年、ロンドンの近郊ルートンという田舎町、移民の少年は、日記を書く事で自分を見つめていた。そんな彼の人生を変えたのは、ブルース・スプリングティーンとの出会い。人種差別や父との葛藤という問題に立ち向かい成長していく実話から生まれた青春音楽ストーリー。

このタイトルには、自分なりの解釈ではあるけれど、2つの意味があると思った。
・親の愛が照らす光の中では、親に縛られて自分の道が見えず進めない。
・青春の光で、自分のことしか見えない。

主人公は、この2つの事を周りの人の助けを借りる事で乗り越えていった。自分の青春時代にロンドンに留学していたこともあり主人公を自分に重ねて涙で頬を濡らしながら観た。
冒頭と最後のシーンに出てくるイギリスの田舎に良くある美しい小高い丘。その美しく静かな丘のシーンに挟まれた1時間半の強烈で優しい物語が僕の心を懐かしく切なく心地良い気持ちにさせてくれた。
「親の愛情は、ときに、うるさくもある。」
親の愛は、時代遅れでうるさい。これから何にでも成れると思っている青春真っただ中の青年だったら、「うるさい!ほっといてくれ!」と誰しも反発するだろう。そんな時は、独りよがりな思いで突っ走り、親も恋人も兄弟も誰の声も聞こえず、自分だけが正しく新しい存在だと思ってしまう。それは間違いではないしそういう時期にしか持てないエネルギーに突き動かされる大切な事が間違いなくある。10代の頃、自分も綴っていた日記でそんな気持ちを書きなぐった時期があった。
16歳の主人公は、両親が若い頃に、一攫千金を狙って、周りの反対にあいながらパキスタンからイギリスに移住する。父親は、若い頃の胸に膨らむ希望を捨て去り、ガムシャラに働き現実に向き合い家族を養った。こんなはずじゃなかったと自分を責めながら。そして、父は、自分みたいになるな、夢を見るな現実と向き合えと息子を諭し続ける。そんな時に、主人公は、貧しい境遇で育った等身大の自分をさらけ出す歌手ブルース・スプリングティーンの歌に出会う。歌詞に自分の境遇を照らし合わせ、自分の気持ちを表に出し、昔から書き留めていた自分の詩を周りの人に見せる事で自分も周りの人も変わっていく。
「95年パキスタン対日本 街角サッカーマッチ」
70年代80年代のイギリスは、不況にあえぎ、移民排斥の風潮。映画の中でも、「この国から出て行け!」と家の壁に落書きされたり、小学生の集団が玄関の郵便受けから家の中に向けておしっこをかけるという描写がロンドン留学中のある夜の思い出と繋がった。
移民排斥差別の風潮は、18歳の僕がロンドンに留学していた95年にも変わらずに続いてた。ロンドンには、街の片隅に開放されたフットサル場がいたるところにあり、先にボールを蹴っている知らない人たちに混ぜてもらうのが当たり前の事だった。
ある晩、大学寮で夕食を終え、日本人の知り合い数人とフットサル場に行くと、同世代のアジアの人たちがサッカーをしていた。声をかけると、パキスタン対日本で試合をやろうと誘われる。ちょうど、映画の主人公の弟世代くらいの青年たちだった。その場で集まってボールを蹴るだけの遊びなのに異様な程「パキスタンの誇り!」「絶対に勝つぞ!」などと気合いを入れていたのが当時は不思議だった。この映画を観て、出自の誇りを鼓舞する気持ちだったんだとあの時の彼らの雰囲気がなんとなくわかった気がした。
「父と息子」
イギリスで生まれた主人公は、パキスタン流の家父長制を重んじる父の「お前はパキスタン人でイギリス人にはなれない」と言う言葉を受け入れようと出来ずにいた。イギリス人の親友もまた同じように父との葛藤を持っている事を知る。親子のズレはどの民族のどの社会にも同じようにある。「光を照らす事で、子の進む道を歩きやすくしてあげたい親の気持ち」と「手探りで歩き難くとも自分の進む道を自分の意思で歩きたいこの気持ち」はズレているような気持ちだけど進んで行く方向は同じ。大抵の親子は、すれ違い続けて、親になって初めて気付くのだろう。大学進学する頃には、色々な事を受け入れてパキスタン人のバックグラウンドを持ちながら進むという道を選んだ。父も息子が若い時の自分と同じ様に自分の道を選んでいることを認める。その影には、母の助言があった。母は結局家族を支えている。
自分の場合は、葛藤というほど大きなものではなかったかもしれないけれど、父と息子のぶつかりがあった。
ロンドン留学中の夏季休暇に、児童福祉を地方の大学で教える単身赴任中の父を訪ねた。昼は大学を案内してくれたり、大学で教えるようになり、児童だけでなく身体障害の分野など地域との繋がりが増えていることなどを話してくれた。
夜、父のアパートでお酒を飲んでいる時に息子と酌み交わす酒に気分も良くなった様で「福祉の仕事をしろ!」と赤ら顔で突然、怒鳴って言ってきた。その一言で、酔いも覚め「そんなこと言うなら今から帰る。」と言い返した。人類学を学びその分野を研究してみたい楽しみに胸膨らんでいるそんな時だったから、一瞬で突っぱねた。今思うと、父は、自分の人生を捧げる程たずさわってきた福祉の多様性、将来性を息子にバトンを渡したいと思っていたのだろう。あの時、青春真っ只中の僕には、「はいやります」と受け入れられるはずもなかった。今ならもう少し、冷静さを持って話の続きを聞けたかな?
いや、幾つになっても親からの頭ごなしの言葉を、冷静さを持って受け止める事はできないだろう。父が亡くなり、割とすぐに福祉の仕事をはじめてもうすぐ20年になる。
自分でもがいて飛び出して自分の道を選んできたつもりだった。でも結局、父の憧れた英国に留学し、父の生涯たずさわった福祉の仕事に従事している。僕が3歳の時に、家族で1年間ロンドンで住んだ様に、僕も小さい娘たちをロンドン旅行に連れて行った。そして、写真も伯父の影響だったりする。
無口な父は、天国でニヤッと笑っているだろう。 

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