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2020年02月

小春日和vol.677 小春の受験に際して思うこと

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まず、同じ地域でも高校の選び方や内申やら受験方法のシステムが違う。学校の数と受験生の数が違う。

それなのに、父も母も「パパの頃は〜」「ママの頃は〜」と進学できたというだけで先輩面して武勇伝のように畳み掛けるように話してしまう。これは、今の受験事情を学校でも塾でも、耳がタコになるくらい聞かされている本人にとってはうるさい以外の何物でもない。錆びた古臭い情報でしかない。

冷静に振り返ってみると、父も母も武勇伝の様に話せる内容でもない高校受験体験者であった。しかも、大学受験のモチベーションや体験と混同してしまっていて、高校受験体験の事を話しているかどうかも自分たちでもよくわかっていないのが現状。そんな話は、混乱と苛立ちを招くしかないだろう。

色々な気持ちは置いておいて、人生の中でチャレンジしたい事がある充実した時期を親として焦りながらも見守ってやりたい。

僕の高校受験の目標は、とにかくサッカーの強い高校に行きたい

         ↓

けれど坊主は嫌(当時、私立の大半が1年坊主だったが、今は絶滅してる?)

          ↓

そして1年がボール拾いは嫌(都立は人数が少ないから出れるかも)
自分の学力にあった都立は、夜間もある二部制で、進学校。
学校見学の説明で部活が17時半までで、野球部とグラウンドを半々で使うと言われたことで物足りないと思ってしまいった。(部活の時間きいてなかったら行ってたかもなあ。今思えば効率的に行えば1時間半の方がよかったのかも)
ランクを4つ下げて、その年に都大会でベスト16に入った都立高校に進学した。
願書を出す寸前まで、塾の先生や母親に反対され、実力のあった高校に行かせたかった母親は、1日家出をした。
結果的には、高校3年間サッカー部でレギュラーで試合に出続けられたのでよかった。
今でも、同じ部活だった同級生と同じ草サッカーチームに入っていたりする。自分の決断に責任を持てた事は良い経験だった。

奥さんは、修学旅行で沖縄に行きたいという理由で、ランクを一つ下げての高校受験。当時担任の先生が家に訪問しランクのあった高校への進学を説得された。
「何でそんなに△△高校が良いんだ?」の問いに本当の気持ちは隠して、
頑なに「自由な校風。(修学旅行が沖縄旅行だから)」
「行ってみたら違ったと思うかもしれないぞ!」
「自由な校風。(沖縄行きたい!)」を繰り返し押し切った。
結果、高校3年間楽しかったとのこと。
今でも、1年に1度は数人で集まる高校の同級生がいるので良かったと。

1月の下旬に家の近くで「だるま市」という大掛かりなお祭りが毎年あり、寒雨の中、少6の妹は、放課後急いで神社へ向かった。目当ては、仲見世のいちご飴とカリカリポテト。お姉ちゃんの為に合格祈願のだるまを買う使命を担う。雨の為、だるま屋さんが早仕舞いしてしまいほとんどの店がいなくなった中、毎年同じ大きさの4号を求めて、数少ない店の人が残っていただるま屋さんに声をかける。
「お姉ちゃんが受験なんです。」と。
「2500円で買えるだるまはありますか?」
「4号(2500円)は売れちゃったなあ。一回りでっかくなっちゃう5号ならあるんだけどねえ。」
「それ2500円で買えますか?」と言うと
「じゃあ、これ2500円ね」と持ってきた古いだるまと交換で袋に入れてくれたそうで。「合格祈願お願いします」と口上までお願いしたという。
「じゃあ一発で合格した方がいいもんね。お姉ちゃんの一発合格を願ってよーポン」姉は妹に感謝してるんだかしてないんだかニヤニヤしながら、志望校合格の願掛けをしながら左眼を入れていました。
妹は、「小春ちゃんが合格したら〇〇高校の文化祭に行く」と受験の応援だかなんだか未来のある言葉をかける。

「ひまと幸せの暮らし学」 フクダカヨ✖︎入江英樹✖︎谷川俊太郎トークイベント

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『ひまのつめあわせ 入江家の本』(遊と暇) 刊行記念


「ひまと幸せの暮らし学」
フクダカヨ × 入江英樹 × 谷川俊太郎 トークイベント

が3月7日14時から青山ブックセンター本店にて開催されます。

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「雨風をものともしない晴れやかな本!」の言葉を寄せていただいた、また、ひまのつめあわせにも登場していただいている谷川俊太郎(友情出演!)と僕ら夫婦と編集者としてこの本の制作の先導をしてくれた渡辺龍彦さんの4人で
この本の事や「ひま上手」について話したいと思います。
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昨年の11月に出来立てほやほやの「ひまのつめあわせ」をお渡しに谷川邸を訪ね
ました。

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本の話から、トイレの手洗い場に住み着く蜘蛛の話になったり蜘蛛のロングレックスは足長おじさんのあだ名だったとか、 群馬の別荘の周りに子供の頃はホントに赤とんぼがいっぱいいるんで、それを全部集めてきて、3畳の部屋に集めて放したという話をしてくれました。
こんな風に話が広がっていくんだなと改めて読後も話が尽きない、
この本の面白さに気づかされました。

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本の中に、子供達が小さい頃から書いたメモだったり作った立体物を紹介するパートがあり、
そのページを読んでいた谷川さんが思いついた様に棚に飾っている人形を持ってきてくれました。
紙粘土で作った谷川俊太郎さん。
お孫さんが小学生の時に作ってくれたと話してくれました。

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小さい頃から聴いているという蓄音機を嬉しそうに操作しながら、
「蓄音機なんて聴いた事ないでしょ?」と針を落としてくれました。

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天気の良い木漏れ日の中、谷川さんがお気に入りの一枚を流してくれました。

本を見ながらたわいもない会話。幸せな時間。

谷川さんは、玄関まで見送りにきてくださった。

この続きをトークイベントで出来るなんて思ってもみなかった。
楽しみです。


東京マラソン2020への道→その先の2021へ

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 1996年Westminster London
(この写真を撮った時には、
まさかこの人の様にマラソンの事で頭が一杯になる日が来るとは思わなかった。)




小学1年生で市内のちびっこマラソンで16位になる。育った家が小高い丘のてっぺんにあり、その丘は、玄関の向かいは森の入り口、野山を走り回って遊ぶ毎日で心臓が強くなったのではと思う。叔父に、その快挙を伝えると意外な言葉が帰ってきた。(僕の中では親戚一同運動神経が良い人が見当たらない中での快挙と思っていた)

叔父が言うには、曽祖父が力士にスカウトされるほど、骨格が大きい家系。祖父の代から獣医の傍ら、牛を飼っていて戦時中でも乳製品を食べていたから骨は太く、昭和一桁生まれの叔父たちの足は28cmだった。足が大きいということは、一歩一歩の重量の負担が他の人よりも大きいから長距離は疲れるという持論だった。

その時は、せっかくの快挙に褒められると思っていたから、とても残念な気持ちになったが、その言葉は、「足が大きくても一等賞になってやる」と僕の負けず嫌いの気持ちをくすぐった。小学校では、サッカーを続けたおかげもあって、毎年出場する市内のちびっこマラソンで少しずつ順位を上げ続け、小6で4位となった。このおかげで小1〜高2までの校内マラソンは、11回中9回の一等賞になれた。ありがとう叔父さん。そんな事もあって、訳の分からない自分のプライドに突き動かされ、部活の練習中に走っても一等賞になるために必死で走ってきた。

その頃には、叔父も「足が大きくても長距離が速い奴はいる」と認めてくれた。ちなみに小1で23.5cm。小6で27.5cm。現在は30cm。

20代も30代も草サッカーやフットサルは続けていたが、時々、数キロ走る事もあったが、マラソンなんて出る人の気が知れないと思っていた。

2015年春、親友が突然家で倒れてそのまま帰らぬ人となった。娘の保育園の親同士として知り合い、フットサルという共通の趣味が合い、毎週の様に一緒にプレイしていた。保育園のお父さんの交流を目的にフットサルチームも一緒に立ち上げた。駅伝大会にもエントリーしてお父さん達で今度出ようと話していた。彼は死の前日もフットサルをし、翌週の予約までしていたとの事。

 家族ぐるみで毎週のように遊んでいた。

 まだまだフットサルにマラソンにと一緒に楽しみたかったと彼も思っていたと思う。もちろん自分も彼とこれから何十年も一緒に楽しめると思っていたのに突然すぎる死だった。

亡き友は、若い頃にマラソンにはまりいくつもの大会に出走していたという事と東京マラソンにはまだ走ったことがないので出てみたいと話していた。いつか一緒に出たいと話していたが、その当時は、僕自身、マラソンに興味もなかったので話半分で聞いていた。

彼が亡くなってから、「東京マラソン」と言っていたなあと心に引っかかっていた。東京マラソンに出たら、彼の観たかった景色を一緒に見れるのではと思い立って、2016年東京マラソンにエントリーするが落選した。

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東京マラソン落選直後に、障害者10kmに出場したい人が伴走者を探しているという話を聞き10キロでも伴走でも東京マラソンに出る事で彼に会える様な気持ちになり、2016年の東京マラソン10kmに伴走として日比谷公園まで無事伴走の役目を果たした。親友の家族に借りた彼がいつも着ていたフットサルの黄色シャツを身につけ出走。ゴールした時に、10kmのゴールの横をフルマラソンランナー達が歓声の中走り抜けていくのを観て、自分も選手としてその先の景色を観て観たいと強く思った。

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その後3度の東京マラソンに落ち続けたが、今までにフルマラソンは7回出場している。毎回彼のシャツを着て。

 2年前から同じ保育園で彼と共通の友人でフットサルチームも立ち上げた大高さんもマラソンを始め、彼のフットサルシャツを借りて二人(いや彼も含めて3人)でフルマラソンに出場している。

2020年ペアで応募し初当選。初めて二人揃って彼のシャツを着て出走できます。今、こんなに走れているのは、彼が、フットサルの予約をしたままその先もやりたい事があったのに突然出来なくなることもある。それは死はもちろん、怪我や病気だっていつ起こるかわからない。それは一人一人が可能性のあること。そんな中で、今日も走れる。今日も楽しく体が動かせることに感謝して、スタートとゴールの時は、いつも彼にお礼を告げている。それは感情のこみ上げる大切な時間。東京マラソンは彼と走る特別な時間になると思います。

今でも「足が大きくても速く走ってやる」と思い走り続けている。
東京マラソン2020では、3時間30分以内を目標に出走します。

追記
東京マラソン2020は中止になりました。
東京マラソン2021の出走権は得られました。
中止が決まった日も走りました。
次の日も走りました。
1年間準備して最高の景色の中、自分の限界に挑みたいと思います。

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