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2005年05月

小春日和vol.19 おっぱいという武器

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ウチの娘 小春は産まれた時から母乳飲みで育ってます。
産まれる前に買った哺乳瓶は封を開けないままどうやらお蔵入りの様子。
よく「母乳は大変?」と聞かれるのだけれど、
「ミルクを作る手間を考えたら楽かな」と奥さんは言う。
「寝かせる時とかとりあえずおっぱいあげれば寝るからさ。
それに、おっぱいという武器が無くなったときが怖いよ」と軽口を叩くけど。
こっちからしたら、その武器がうらやましい限りだ。
おっぱいをあげるときの、密着度と言い、小春が身を委ねている姿。
あれで母子の関係が育まれているのだと思う。
その武器を持たない僕は、小春がおっぱいを飲みたくて泣く時、耐えるしかない。
母が散歩やお風呂でいない間、ひたすら耐える。
ミルクだと、一日お母さんがいなくても赤ちゃんは大丈夫らしい。
ミルクはお父さんでもあげられるから。
たぶん、赤ちゃんからのお父さんに対する食事的信頼度も上がるのだろう。
それはちょっと惹かれる。
でも、あの、密着を見ているとおっぱいをあげる事が可能ならそうして欲しいと思う。
あの光景は食事を超えた心のつながりをも導く事だと思う。

おっぱいだけのウチの場合、小春が母なしでいられるのは20分が限度だ。
というわけで必然的に、美容院も3人で行く。
だけど、いくら人前で恥ずかしいからって、こんな授乳はみたことありません。

riff
2005年4月 東京

予備校生の割り込み乗車?

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kisya2
1995 東京

昨日に続き電車ネタ
夕方、電車に乗ろうとしたら
駅係員の鼻にかかった構内アナウンス。
あ〜あ、これが日記で書いた伝統芸だと感慨深く聞いていると
「え〜ただいまの時間、予備校に通う方の割り込み乗車が増えていますので
 ご注意ください」って
一瞬頭の中で整理できなかったくらい衝撃的なアナウンスだった。
確かに、予備校生が授業が終わって帰る時間だけど、
だれが、予備校生とそうじゃない同世代の子を見分けられるんだ?
「俺は(私は)予備校生だ」と言いながら割り込みするわけないし
悪質な割り込み乗車の人を捕まえてみたら、いつも、「実は予備校に通ってます」ってことになるのか?
ここまでの大胆な決めつけた発言の裏には、相当数のトラブルがあったのか?
色々想像しちゃいますけど。
今後のアナウンスの展開としては、断定がさらにエスカレートして
「○○予備校の生徒さんが割り込みますのでご注意ください」とか
「○○予備校に通っている何々さんが割り込みますので、
3両目にお並びのお客様はご注意ください」
とかになったりして。
いやあ、それにしてもアナウンスって時々びっくりします。
あの場にいた予備校生は怒っても良いと思いました。
僕が予備校生だったら、抗議してたかも。

車内アナウンスは伝統芸?

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kisya
2003.7 飯能 レストラン青炎にて

以前から、電車の車内アナウンスの鼻にかかった様な「次は〜○○」というのが気になっていた。
先日、営団地下鉄に勤めている方と話す機会があったので
「あの車掌さんの独特の発声はなんでしているのか?」と尋ねた。
すると、「あれは、すごく昔まだマイクの性能が良くなかった頃、普通に話しては何を言っているのかお客さんに分からなくて、あの発声法になったそうで、
今はもうマイクの性能がよくなったので普通に話しても十分聞き取れるのだけれど、車内アナウンスは先輩から教わるものなので、発声法だけが先輩から受け継がれている」と教えてくらました。

車内アナウンスは伝承され続けているのかと思うと、
あれはあれで壮大な伝統芸なんだなあと。
もしかして、なんとか流とかあったりして。

小春日和vol.18 小春の存在感は名優に通ず

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tatami
2005年4月 畳

小春と一緒に出かけると、色々な人から
「かわいい赤ちゃんね」と声をかけられる。(小春が)
親としてもまんざらではないので、にこにこしてしまう。
この前なんか、「きれいなお顔。見ているだけで心が洗われるようだわ」
とおばあさんに言われた。
小春は、外に出ても、ほとんど泣いたりせず、
愛想良くにこにこしながら近くにいる人は誰でも凝視する。
たぶん、それはたぶん小春が見返りを求めず好きでやっている事なんだろう。
その好きでやっている事で、誰かを心地良くさせることができる表現力や存在感というのはものすごいと思う。

5月22日のNHKアーカイブス
「”舞台いのちの限り〜宇野重吉旅公演2万キロ”名優最後の挑戦」を観た。
肺がんを患いながら、73歳で亡くなる3ヶ月前まで旅一座の座長として「三年寝太郎」演じた。
点滴を打ちながら、酸素吸入をしながら演じ続けた。
木下順二さんとの会話で、宇野さんは「舞台は少々熱が高くたって観てる人にはそう分かるものではないし、セリフを間違えたってそう大した事じゃない。一番いけないのは待っているお客さんがいるのにやらない事だ」と言っていた。
体調を心配し止める医者には、「演じる事が私なりのリハビリだ」と言ったそうだ。
鬼気迫るものがあった。それを支えたのはやはり、行った先々でのお客さんだと思う。

電車の停車駅で何十人もの人たちが
「宇野先生!がんばって!」と握手しながら差し入れを渡していた。
前に公演を観た人たちが電車で通る事を聞きつけて待っていたそうだ。
たぶん、宇野さんだって、客がいて、仕事ということはあるけれど、
やりたい事をやっているという事だと思う。
そのやりたい事が人々に感動を与え、小さな村に、宇野さんが来るということで、喜びを与える。
そして、電車の差し入れ。
これも含めて、やりたい仕事だったに違いない。

僕もなるべく撮影は顔の見える仕事をしたいと思っているのですごく心に響くものがあった。
宇野重吉さんは小さい頃なんとなく好きな俳優さんだった。
あとでビデオを小春と一緒に観たのだけれど、
宇野重吉さんが画面に映る度に小春は「お、お!」と画面に釘付けになる。
普段はあまりテレビに興味を示さない小春さえも虜にしてしまう。
血のにじむ様な日々があるのに、
宇野さんの存在感は「なんとなく好き」になってしまうものなのだろう。
それこそが、宇野重吉の魅力なんだと思った。

学区域の争い

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elements

小学5年生の時、家が学区域スレスレの所にあったので、
友達が遊びに来るとよく隣りの学区域の公園で遊んでいた。
特にお気に入りだったのはジャンボ滑り台だった。
ジャンボ滑り台というのは子どもが横に7、8人くらい並べるくらい広く
下から歩いて登れないくらい急な『ジャンボ』の名に恥じない滑り台だった。

その日も、隣りの学区域のジャンボ滑り台のある公園で友人3人と遊んでいた。
すると、女の子の5人組がやってきて言った。
「あんたたち何年生?」と女の子たち
「5年だけど」と僕ら
「私たちは6年よ」
「だから何?」
「どこの子?」
「○○小」
「隣りの学校じゃないの!出て来なさいよ!
教頭先生がここは△△小の子以外が遊んじゃいけないって言ってたもん」と言った。
「公園はみんなのものだろう!」
「ダメ!絶対ダメ」
「じゃあ教頭先生連れてこいよ!」
「明日の同じ時間にここで待ってなさいよ。教頭先生連れてくるから」
と言いながら女の子たちは去って行った。

女の子たちは不思議なくらいに声を揃えてセリフを喋る。
僕らも、今では恥ずかしいくらいの正義感で対抗した。
思えば、小学生の頃ってホント学区域が生活の全てだった。

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