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2004年05月

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昔読んだ童話で「北風と太陽」が好きだった。
北風は道行く人のコートを風を使って力ずくで剥ぎ取ろうとして失敗し、
太陽は気温を上げて道行く人が自分からコートを脱いでもらった。
この太陽のやり方が好きだったんだなあ。
幼稚園の時、僕は園内の離れにある図書室の本を友達と全部積み上げてしまったことがあった。
最初に来た先生は、怒ることをせず、
「そんなに上手に積み上げられたんだから、元に戻すのも上手に出来るよね」って言った。
僕らは気分良く自発的に片づけてしまった。
もし怒鳴りつけられていたら、泣きながら嫌々何倍もの時間がかかって片付けさせられていたと思う。
この一歩引いたところからの物言いが相手を動かす原動力になるんじゃないかなと思っている。
常々、写真を撮るときに思っているのは、被写体の気持ちを変えてまで良い写真を撮りたくない。
各々が普通にしているときにだってすごく素敵な表情やかたちをしているのにそれを撮らない手はない。
表情を言葉で誘導しないで、その人が良い表情やかたちをするまで待って撮る。
もちろん、その作業は大変高度ではあるけど、普段の素敵な写真というのは価値があると思う。
それは街の中で僕が勝手に見つけて撮る人(被写体)にも当てはまると思う。
街では被写体(知らない人)が嫌な気持ちになったり、
その人が僕が撮影してることに気付いてしまうこと街でカメラを持っているときには空気みたいな存在で、
「太陽」のやり方で撮影したい。

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西日暮里から谷中、日暮里にかけてカメラを持って散歩しました。
友人に勧められていたので行ってみました。
けっこうブラブラと散歩する人が多くてこちらもなんとなく街に溶け込めた感じがしました。
寺と墓地が多いせいかけっこう緑があって木漏れ日がよかったです。
途中で、目をぎょろぎょろさせて大きなカメラを持って路地を撮っている人がいたけれど、あの人は散歩メインじゃなくて、写真メインで、被写体を探してるんだと思った。お疲れさまです。僕は、いつも撮れなくても散歩が楽しければまあいいやというスタンスなので、あまり、目はぎょろぎょろしないなあ。
朝倉彫塑館から一番近いセブンイレブンでアートの村上隆氏を見かけました。でもあまり得した気はしなかった。なんでだろう。
それから、日暮里駅から谷中側に上がった、天王寺というお寺がとてもよかった。
最近、増築と改築をしたみたいだったのですが、それが、昔からの建物と調和していてよかった。
大仏ならぬちょっと大きい仏像(中仏?)が合掌していたのですが、あれって珍しいんじゃないかな?
寺の外から、門越しの仏像を撮ってから中に入って、仏像を見てみると合掌していて「あれっ?さっきも合掌していたかなあ?」と考えてしまった。
僕はよく写真が出来上がって初めてそのものの形を発見することがある。撮っているときは、何か得体の知れない感覚が良い形を探しだし、シャッターのタイミングを教えてくれる。このセンサーみたいな機能のがなくなったらどうなるんだろうと考えてしまう。

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「手を挙げて横断歩道を渡りましょう。」
あの標語、小学生の時習いましたけど、実際に真面目にやったことはない。この標語どういう意味があるのか考えれば考えるほどにわからなくなる。たぶん理屈は背の小さい小学生が、車に対して、今まさに僕は私は横断してますよってアピールなんだろうけど、そんなのは手を挙げなくたって見れば分かるし、運転手の不注意で見落として交差点に突入してきたら、手を挙げてるかどうかはあまり関係ないんじゃないかな?
もう一つ思い浮かんだのは、背が小さくて目立たないって発想だから、それを補って手を伸ばして、自分を大きく見せる為なのかなあということ。まさかそんなはずはないと思うけど。誰かすっきりするような答えや意見を教えてください。珍回答も嬉しいです。
それから、大人も挙げた方がいいのかな?
大人1人で手を挙げて渡ってる人は見たことは無いけど。

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川崎市岡本太郎美術館に行った。
美術館に隣接する、太郎カフェで昼食を食べた。
あまり味は期待できないとおもいつつ、カルボナーラを頼んだ。
出てきたパスタは見た目スパ王、味もスパ王よりちょっとおいしいパスタだった。
美術館に入り、展示を見ながら、どうもパスタの事が気になってしょうがない。
何でだろうと考える?
口のなかがとても爽やかなことに気がつく。
コップに残してきたから、あまり水も飲んでないのに
口の中にクリームのしつこさが全くない。
決定的にスパ王と違うのは後味が美味しいことだった。
とても気分良く観覧できるので、太郎カフェのパスタはお勧めです。

岡本太郎美術館にはもう5回も行っているけれど毎回新たな感動がある。
家には、太陽の塔のミニチュア、顔のあるグラスや2,3冊の本がある。
芸術作品も好きではあるが、戦前にパリにソルボンヌ大学で民俗学を専攻して
いて、ブラッサイなどと交流があり、岡本太郎の撮る写真が良いのである。
好きな写真家にあげたいくらいである。好きな写真家、岡本太郎にします。
僕も民俗学を専攻していたことがあり、割と人や文化の捉え方は共感できるところがある。
常設展示にネガをただ並べただけのものがあり、彼の関心の流れがかいま見れたり、露光を失敗してから取り直していたり撮影現場を想像できて楽しかった。

ショップで「日本人は爆発しなければならない 日本列島文化論 対話 岡本太郎 泉靖一」を購入した。

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原美術館で開催中の「飛ぶ夢を見た 野口里佳」展に行った。
受付に着くと係りの人2人が必要以上に僕の顔を見てくるのでなんだろうと思いながらカウンターの上を見るとcloseの札が.....
「まだ入れますか」と尋ねると、
「15分しかありませんけど、それでよろしければ」と念を押され
なんか答えなくちゃと思いつつ、
「15分で十分です」だと無理してる感じだし、
「結構早見の方なのでどの展覧会でもいつも10分くらいで見ますから」だと嫌みに聞こえそうだし、
結局出た言葉は
「はい大丈夫です。」でした。
なんかいつも色々考えた結果、一番シンプルな返答を選択している気がする。

野口里佳さんは以前、「鳥を見る」という写真集を見ていて、砂丘みたいな広々した所で米粒大のはっぴを着た人が慌ただしく走ったり、凧の糸を引っ張ったり遠目なんだけど、臨場感がある写真が気になっていた。

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