カテゴリ:
tatami
2005年4月 畳

小春と一緒に出かけると、色々な人から
「かわいい赤ちゃんね」と声をかけられる。(小春が)
親としてもまんざらではないので、にこにこしてしまう。
この前なんか、「きれいなお顔。見ているだけで心が洗われるようだわ」
とおばあさんに言われた。
小春は、外に出ても、ほとんど泣いたりせず、
愛想良くにこにこしながら近くにいる人は誰でも凝視する。
たぶん、それはたぶん小春が見返りを求めず好きでやっている事なんだろう。
その好きでやっている事で、誰かを心地良くさせることができる表現力や存在感というのはものすごいと思う。

5月22日のNHKアーカイブス
「”舞台いのちの限り〜宇野重吉旅公演2万キロ”名優最後の挑戦」を観た。
肺がんを患いながら、73歳で亡くなる3ヶ月前まで旅一座の座長として「三年寝太郎」演じた。
点滴を打ちながら、酸素吸入をしながら演じ続けた。
木下順二さんとの会話で、宇野さんは「舞台は少々熱が高くたって観てる人にはそう分かるものではないし、セリフを間違えたってそう大した事じゃない。一番いけないのは待っているお客さんがいるのにやらない事だ」と言っていた。
体調を心配し止める医者には、「演じる事が私なりのリハビリだ」と言ったそうだ。
鬼気迫るものがあった。それを支えたのはやはり、行った先々でのお客さんだと思う。

電車の停車駅で何十人もの人たちが
「宇野先生!がんばって!」と握手しながら差し入れを渡していた。
前に公演を観た人たちが電車で通る事を聞きつけて待っていたそうだ。
たぶん、宇野さんだって、客がいて、仕事ということはあるけれど、
やりたい事をやっているという事だと思う。
そのやりたい事が人々に感動を与え、小さな村に、宇野さんが来るということで、喜びを与える。
そして、電車の差し入れ。
これも含めて、やりたい仕事だったに違いない。

僕もなるべく撮影は顔の見える仕事をしたいと思っているのですごく心に響くものがあった。
宇野重吉さんは小さい頃なんとなく好きな俳優さんだった。
あとでビデオを小春と一緒に観たのだけれど、
宇野重吉さんが画面に映る度に小春は「お、お!」と画面に釘付けになる。
普段はあまりテレビに興味を示さない小春さえも虜にしてしまう。
血のにじむ様な日々があるのに、
宇野さんの存在感は「なんとなく好き」になってしまうものなのだろう。
それこそが、宇野重吉の魅力なんだと思った。