小春日和vol.679 小春の高校合格に自分を信じて進む力を見た

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中学入学からの1年間は、部活に熱中し勉強はのんびりというかペースがつかめていない感じでしたが、中学2年頃から勉強への集中が増してきた。3年の直前春休みから塾にも通い出した。周りの同級生たちより遅かったのかもしれないが、本人は、夏前には志望校をほぼ絞り込んでいた。

夏休み明けの模試での判定はCランク。志望校を替えて受験する高校のランクを下げるのかなと思っていた。塾の担当や中学の担任の先生達も、高校受験で一生が決まるわけでは無いから、判定が安全圏の高校を再考してみてはとアドバイスしてくれた。周りの大人達の(今となっては)雑音に全く心を乱さず志望校を目指すと言い続けた。その姿を見て、「人生の中でチャレンジしたい事がある時は、とても充実した時間だと思うので応援するよ」と落ちる可能性もあるチャレンジを支えようと思った。と言っても、寝る前に、足を揉んでマッサージしてあげたりあげなかったりするくらいの事。 勉強のコツも掴んできたのもあり12月の模試でBランクにあげる。その後も、息抜きをうまくしながら勉強を続け本番を迎えた。

そして、3月2日ひな祭り前日に合格発表に母と向かう。僕は、仕事場から「もう高校に着いた?」など奥さんにメールしドキドキしながら待つ。

「着いた。まだ並んでる。」のメールが来た直後に

「受かった!」とメール。

受験勉強を頑張った事はすごい。今の学力に合わせて選ぶ志望校ではなく、自分が行きたいと決めた志望高校に自分を信じてやり切った娘を誇りに思う。

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受験が終わったらギターの練習を始めようと受験中からずっと言っていたので、
母のギターを借りて毎晩練習中。
お疲れ様。

小春日和vol.678 日常と非日常

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受験当日の朝
都立入試に向かう娘を車で最寄りの駅まで車で送った。
助手席で見ているカードは、昨年の夏に一緒に本屋で選んだ日本史参考書の一問一答付録だった。
買ってすぐにいらないからと切り抜きもせず捨てようとしていたので
試験の直前とかに手に取ると良いよと言いながら、代わりに作ってタンスにしまって置いた。
それを1ヶ月前から手に取っているのは知っていた。
当日の朝に手に取ってくれたのは嬉しかった。
「アドバイスとは、数年後にわかる事を言うべき」という多分落合監督の言葉を思い出した。

そして、受験当日まで1年くらいだろうか、受験生を中心にピリピリした空気が張り巡らされていた入江家では、それが日常だった。いつか終わるだろうとはわかっていたので非日常のはずなのだけれど、
見守るだけで自分でチャレンジしていない応援団にとってはこの緊張感の毎日が日常と化していた。



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受験翌日の週末
受験が終わり、友達に渡すためにお菓子を笑顔で何種類ものお菓子を作っていた。
緊張感から解放した表情で。

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緊張感から解き放たれたのは、親や妹も一緒で家族も受験が終わったと感じた。
それは、久しぶりに入江家に日常が戻ったのだと思った。
まだ発表までに時間があるけれど、試験は終わり張り詰めた空気は無くなった。

ここまで書いて、実はこの1年間だって貴重な日常の中に暮らしていたと思い直した。
娘の身体をいたわり足をマッサージしたり車で塾まで送り向かいしたりこんなにも
娘のためにという日常はなかなか無い事だった。
しかも父親を頼ってくれることも嬉しかったのは間違いない。
この1年間は非日常と呼ぶには勿体無い、父親にとって貴重な非日常だった。

小春日和vol.677 小春の受験に際して思うこと

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まず、同じ地域でも高校の選び方や内申やら受験方法のシステムが違う。学校の数と受験生の数が違う。

それなのに、父も母も「パパの頃は〜」「ママの頃は〜」と進学できたというだけで先輩面して武勇伝のように畳み掛けるように話してしまう。これは、今の受験事情を学校でも塾でも、耳がタコになるくらい聞かされている本人にとってはうるさい以外の何物でもない。錆びた古臭い情報でしかない。

冷静に振り返ってみると、父も母も武勇伝の様に話せる内容でもない高校受験体験者であった。しかも、大学受験のモチベーションや体験と混同してしまっていて、高校受験体験の事を話しているかどうかも自分たちでもよくわかっていないのが現状。そんな話は、混乱と苛立ちを招くしかないだろう。

色々な気持ちは置いておいて、人生の中でチャレンジしたい事がある充実した時期を親として焦りながらも見守ってやりたい。

僕の高校受験の目標は、とにかくサッカーの強い高校に行きたい

         ↓

けれど坊主は嫌(当時、私立の大半が1年坊主だったが、今は絶滅してる?)

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そして1年がボール拾いは嫌(都立は人数が少ないから出れるかも)
自分の学力にあった都立は、夜間もある二部制で、進学校。
学校見学の説明で部活が17時半までで、野球部とグラウンドを半々で使うと言われたことで物足りないと思ってしまいった。(部活の時間きいてなかったら行ってたかもなあ。今思えば効率的に行えば1時間半の方がよかったのかも)
ランクを4つ下げて、その年に都大会でベスト16に入った都立高校に進学した。
願書を出す寸前まで、塾の先生や母親に反対され、実力のあった高校に行かせたかった母親は、1日家出をした。
結果的には、高校3年間サッカー部でレギュラーで試合に出続けられたのでよかった。
今でも、同じ部活だった同級生と同じ草サッカーチームに入っていたりする。自分の決断に責任を持てた事は良い経験だった。

奥さんは、修学旅行で沖縄に行きたいという理由で、ランクを一つ下げての高校受験。当時担任の先生が家に訪問しランクのあった高校への進学を説得された。
「何でそんなに△△高校が良いんだ?」の問いに本当の気持ちは隠して、
頑なに「自由な校風。(修学旅行が沖縄旅行だから)」
「行ってみたら違ったと思うかもしれないぞ!」
「自由な校風。(沖縄行きたい!)」を繰り返し押し切った。
結果、高校3年間楽しかったとのこと。
今でも、1年に1度は数人で集まる高校の同級生がいるので良かったと。

1月の下旬に家の近くで「だるま市」という大掛かりなお祭りが毎年あり、寒雨の中、少6の妹は、放課後急いで神社へ向かった。目当ては、仲見世のいちご飴とカリカリポテト。お姉ちゃんの為に合格祈願のだるまを買う使命を担う。雨の為、だるま屋さんが早仕舞いしてしまいほとんどの店がいなくなった中、毎年同じ大きさの4号を求めて、数少ない店の人が残っていただるま屋さんに声をかける。
「お姉ちゃんが受験なんです。」と。
「2500円で買えるだるまはありますか?」
「4号(2500円)は売れちゃったなあ。一回りでっかくなっちゃう5号ならあるんだけどねえ。」
「それ2500円で買えますか?」と言うと
「じゃあ、これ2500円ね」と持ってきた古いだるまと交換で袋に入れてくれたそうで。「合格祈願お願いします」と口上までお願いしたという。
「じゃあ一発で合格した方がいいもんね。お姉ちゃんの一発合格を願ってよーポン」姉は妹に感謝してるんだかしてないんだかニヤニヤしながら、志望校合格の願掛けをしながら左眼を入れていました。
妹は、「小春ちゃんが合格したら〇〇高校の文化祭に行く」と受験の応援だかなんだか未来のある言葉をかける。

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